2度目の登場・・・

オランダフリッツ2

フリッツ!

こちらはアムステルダムで食べたモノ。

また溢れている~

ホクホクのポテトにたっぷりのマヨネーズ!
バクバクいけちゃう!

あ、店員のお兄さんがイケメンだったよw

(w´ω`w)ほくうま~


ライデンの続きです! ↓





今回のスポットに行く前にシーボルトさんについて学びましょう。

マリナ1209 「大航海時代の少し後。シーボルトはドイツ医学界の名門に生まれました。」


医学を学んでいた彼は、大学時代に出会った教授の影響で植物学に興味を示すようになります。

その後東洋研究を志したシーボルトは、
オランダ国王侍医の斡旋で、オランダ領東インド陸軍病院の外科少佐になります。

 ※当時のオランダはネーデルラント連邦共和国、南ネーデルラント他を合わせた、
   オランダ王国(ネーデルラント王国)になってます。ややこしい…



マリフ1209 「その後、長崎出島のオランダ商館医になるんだよ。」

マリナ1209 「1824年には鳴滝塾を開設して、日本人に西洋医学を教えます。」

マリア1209 「長崎では無料で日本人の診察もして、感謝されていたのね。」



患者は感謝の気持ちを贈り物に託しました。
それは植物だったり、地図だったり・・・これがシーボルトの収集の始まり。

「可能な限り日本について調べよ。」という特命つき派遣だったのもあり、
シーボルトは日本の文化や自然の研究に没頭していきます。


ところが、1828年禁制品扱いの地図を国外に持ち出したことが発覚し、
シーボルトは日本を追放されます。



マリフ1209 「これがかの有名なシーボルト事件だね。」






そんなシーボルトが帰国後に暮らした家が公開されています。


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シーボルトハウス!

シーボルトが日本滞在時6年間に収集した、
ありとあらゆるコレクションが展示された博物館。

植物、動物、化石、生活道具など、その数約25000点。
そのうち約800点を見ることができます。
他は前回の民族学博物館やライデン大学などに所蔵されているようです。



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受付の人に「日本人?」と聞かれたので、そうだと答えると、
展示物の解説(日本語訳)を貸してくれました。

また、映像は日本語にも対応していたので、
より深くシーボルトを理解することができます。



生活用品と美術品の展示。 ↓
釣り道具もあった。

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持ってこれない魚などに関しては絵で残していた模様。
植物は丁寧に押し花にしてある。

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動物のはく製も多数。

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上の階にはさらに貴重なものが展示されてます。

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豪華な弁当箱!



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日本沿岸を航行していた廻船の模型。
日本の外にでないように、このタイプより大きい船を作ることは禁止されていたそうな。



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シーボルトが住んでいた自宅の模型。
持ってこれないから模型を作らせたって・・・すごいなw



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飼っていた犬、サクラのはく製。
運んできた生きた動物の中には猿もいました。



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シーボルトはただ単に集めるだけでなく、
材料、産地、使い方などもすべて記録していたところがすごい。

例えば、着物があったとしたら、
その材料となる糸、生地、織機などを集め、作業工程まで記録するわけです。

当時の人々の生活がわかるように、絵師に描かせたりもしてます。


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マリフ1209 「ヨーロッパ初の日本ヲタクと言っちゃっていいよね。※褒め言葉です。 」

マリア1209 「仕事もあったんだろうけど、本当に日本を好きになってくれていたんだね。」



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オランダに帰国したシーボルトはライデンにとどまり、日本研究の第一人者となります。
一方で、日本の開国に尽力します。
ペリーさんに軍事的行動をとらないように進言したのもシーボルトだとか。

そして日本が開国し、追放令が解除されたことで、
1859年にようやくシーボルトは再来日を果たします。



展示物の劣化を防ぐために定期的に展示品は変わっているそうなので、
行く度に新しいモノが見れるかも。

日本人にやさしい博物館を満喫したマリ姐だったのでした。


マリナ1209 「次回はDOLプレイヤー必見の街です!」
2015.03.16 / Top↑
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