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りんごたっぷり♪
RINGOアップルパイ

アップルパイ!

RINGOという池袋のお店のもの。
他には川崎に店舗があるらしいです。

バターたっぷりのパイ生地にたくさんのリンゴ。
甘すぎないのがいいですねぇ。

♡(*>ω<)おいし~い!



さて、
DOLな旅ネーデルラント篇
今回は北東航路についてです! ↓



 ↓


アムステルダム散策中のマリ姐御一行。
続いてご紹介するのは・・・


DOL旅ネデ16-1

旧教会!

1306年に奉献されたアムステルダム最古の教会。

ダム広場にある新教会と区別する為に旧教会という訳になったようですが、
Oude Kerkを直訳すると「古い教会」になります。

この辺りは名物?の飾り窓地区(オランダ合法の売春宿が密集する場所)。
夜は近寄らない方が無難です。



DOL旅ネデ16-2

観光スポットとしてはマイナーですが、
ここにはオランダの海の英雄がたくさん眠っているので、来てみました。



DOL旅ネデ16-10

ヨーロッパの教会中で最大級の木造天井が特徴。
人は少なく、ゆっくり見学できます。



DOL旅ネデ16-4


DOL旅ネデ16-9

DOL旅ネデ16-5

海の英雄の墓標には帆船や髑髏のレリーフが。
(ちょっと見えづらいものがありますが・・・)


DOL旅ネデ16-6

コーネリアス・ヤンツ・デ・ハーン船長
(1633年ダンケルクの海賊との戦いで殺される)




DOL旅ネデ16-11

海軍少将ヴィレム・ヴァン・デル・ザーン
(1669年、北アフリカの海賊に殺される)




DOL旅ネデ16-12

海軍中将イザーク・スヴェールス
(ケイクダウンの戦いでイギリス&フランス艦隊に殺される)




DOL旅ネデ16-13

海軍中将アブラハム・ヴァン・デア・フルスト
(1666年4日間戦争でイギリス艦隊に殺される)





今日取り上げる人物はこの旗艦「イオラス Aeolus」の下に眠っています。

DOL旅ネデ16-7

ヤコブ・ヴァン・ヘームスケルク
(1597年ノーヴァ・ゼムブラ島の越冬による生存者。
1607年ジブラルタルの戦いでスペイン艦隊に殺される)




ここで当時の状況について。
ヨーロッパから東洋へ向かう航路は当初ポルトガルの影響下でした。
後から東洋を目指したイギリスやオランダはポルトガルを避けて北東航路に力を入れます。



マリフ1209 「北東航路・・・(-д-)キライ!」

マリナ1209 「流氷で船が傷むんですよね・・・」



オランダの北東航路ブームのきっかけはリンスホーテンです。
何回か紹介しましたが、ポルトガルの極秘地図をこっそり書き写して、
他国に情報を漏らした人物ですね。



マリア1209 「彼はアフリカ経由よりも北極海を渡る方が簡単にアジアへ行けると主張したらしい。」

マリフ1209 「いやいやいやwwww」

マリナ1209 「知らないってコワイですね・・・」



そんなわけで、オランダは船をだすことになり、
その船に乗ったのがウィレム・バレンツ
DOLではGran Atlasのプレイベントで登場しました。

リンスホーテンとバレンツを乗せた船はカラ海+150マイルまで到達。
しかし、氷に阻まれそれ以上は進めませんでした。

この航海は成功とみなされ、さらに2回目の船をだすことになります。


マリフ1209 「夏でこれだったのに、もっと先に行けると思ったのがスゴイ」




さて、2回目の航海ではバレンツの友人、ヤコブ・ファン・ヘームスケルクも同乗します。
小型船7隻で出航しました。

しかし冷夏だった為、カラ海にも入れず、
退屈しのぎに水晶のでる島に上陸したら、そこでシロクマに遭遇。
水夫が何人か殺され、2度目の航海は終了しました。



マリア1209 「それでも彼らは諦めなかったらしい・・・」

マリナ1209 「誰か止めましょうよ・・・」




3回目の航海は2隻の小型船で出発。
片方の船はヘームスケルクが指揮し、バレンツも同乗しました。
ちなみにリンスホーテンは参加してません。

前回と違うルートを使った為、成果は上がったものの、
途中でもう片方の船長とはケンカ別れ。

バレンツ&ヘームスケルクは調子に乗って進み過ぎ、気づいた時には氷に阻まれ、動けなくなりました。



マリナ1209 「これが8月末の出来事です。」


幸い氷に入り江に押し込まれたので、彼らは陸上で越冬することを決意します。
船を解体して小屋を作り、シロクマや狐の毛皮を捕って防寒しました。



アムステルダム国立美術館(今度取り上げます)の膨大な展示品の中には、
彼らのノーヴァ・ゼムブラ島での越冬に関する展示もあります。

DOL旅ネデ16-14

ろうそく、時計、
ツノの容器("gunpowder horn"という本来は火薬を入れる為のものらしい)


解説を訳します。↓

1596年5月、
17名を乗せた船が中国への道を探索する為にアムステルダムから北極海に向かった。
ウィレム・バレンツとヤコブ・ヴァン・ヘームスケルクが探検隊を率いた。
ロシアのノーヴァ・ゼムブラ島の周りを航行し、北極の氷に阻まれた。
乗組員は9か月の間、自分達で作った小屋で過ごさなければならなかったが、
それは彼らを極度の寒さとホッキョクグマから守ってくれた。
長い冬の後、生き残った12人はボートで文化圏に辿り着いた。
これらの品々は19世紀に彼らのキャンプ跡で発見されたものである。

この時計は元々贈り物、もしくは交易品として用意されたもの。
極夜(⇔白夜)の期間、時間の感覚を失わない為に小屋にかけられた。

バレンツとヴァン・ヘームスケルフはツノの容器に探検記録を入れた。
300年後、この容器は中に記録が入った状態で発見された。
記録は劣化しやすい為、展示はしない。



マリア1209 「バレンツは残念ながらボートでの脱出の際に亡くなってしまうの。」

マリフ1209 「亡くなったとされる海域は彼にちなんでバレンツ海となりました。」

マリナ1209 「アムスに戻ったヘークスケルクは偉大なリーダーとして名をはせます。」


その後、北東航路ブームは去り、
オランダは南回りで東洋を目指すことになります。


マリフ1209 「ヘームスケルクは北東航路を諦めてなかったみたいだけどね。」


しかし再度チャレンジする機会はなかったようで、
アジア航海の後、スペインとの戦いで命を落とします。

後にヤコブ・ファン・ヘームスケルクはオランダ海軍の戦艦の名前になったようです。

海域に名前がついただけあって、バレンツの方が知ってる人多いですよね。
DOLではヘームスケルクはでてきません。



発見物旧教会

 濃いエピソードで、調べていて楽しかったです。
 
 越冬した小屋もいつか見てみたいと思ったマリ姐だったのでした。







マリア1209 「次もアムステルダムのスポットです!」
2016.11.27 / Top↑
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