オランダではたいして食ネタがないので、飲み物も。
DOLな旅ネデ26食

Delftse leut “deluxe” in diverse smaken!

前回と同じデルフトのお店で頼んだ飲み物。
エスプレッソにデルフト産のホットミルク。
フレーバーはモカでお願いしました。

デルフトの名前がついているので思わず注文。
飲みやすくて好きな味でした。

このお店にはVOC Stoutというアルコールメニューもあるようです。
飲める人だったら頼んだのになぁ。


(灬´ิω´ิ灬)このお店はおススメですよ。



デルフトの続きです! ↓




 ↓


デルフトの散策をしているマリ姐御一行。
続いてやってきたのは・・・


DOLな旅ネデ26-1

プリンセンホフ博物館!

ネーデルラント連邦共和国(オランダ)の事実上の初代君主である、
オラニエ(オレンジ)公ウィレム1世の居住であり、暗殺場所。

現在はオラニエ一族に関する博物館になっています。

デルフトの博物館と言えばここくらいです。
日本語のフォローはありませんが、オランダ独立の歴史を把握していれば、
展示物の理解はできると思います。

DOLではネーデルラントの国イベントにあたる部分ですね。


DOLな旅ネデ26-2

Portrait of William of Orange at the age of 22
Portrait of William of Orange 1620-1624




以前も触れたことはありますが、
オランダ独立の過程を復習しながら展示を紹介していきます。

マリア1209 「ネーデルラントは現在のベネルクス3国あたりを指すの。」

マリフ1209 「北部7州はプロテスタント中心、南部10州はカトリック中心だったんだ。」

マリナ1209 「南部はフランスのハプスブルク家が治めるフランドル地方とかぶっています。」


オランダ独立の図




スペイン(カトリック)のフェリペ2世がフランドル地方をおさめるようになり、
プロテスタント弾圧が始まる。
 
フランドル地方で反カトリックの暴動が起きる



DOLな旅ネデ26-5

church interior with iconoclasts 1580-1649
Hendrich van Steenwijck Ⅱ


マリフ1209 「教会で何をやってるの?」

マリナ1209 「これはフランドル地方で起きたプロテスタントによる聖像破壊運動ですね。」

マリア1209 「プロテスタントは聖像を飾ることが偶像崇拝にあたるとして禁止していたのよ。」

マリナ1209 「ネーデルラントに広がり、手に負えなくなったようです。」



 
フランスからアルバ公(フェルナンド・アルバレス・デ・トレド)が派遣され、さらに弾圧が強まる。
ネーデルラント貴族は暴動の責任を問われて処刑されるが、ウィレム1世は逃れる。




DOLな旅ネデ26-3

Portrait of the duke of Alba 1550-1600

【解説訳(略)】
アルバ公爵は、スペイン栄光の時代によく知られた指揮官であった。
彼はスペインで政治家と軍国主義者と見なされていた一方で、海外では悪名高く、
スペイン王に忠実であり、プロテスタントに対して妥協しなかった為、鉄の侯爵と呼ばれていた。




DOLな旅ネデ26-4

Alba's Throne

【解説訳(略)】
この絵はアルバの公の下にあるネーデルラントの惨めな状態を描いている。
彼の到着後に、玉座のアルバ公を描いた絵画がプロパガンダとして登場した。
このテーマの絵画は血まみれの闘争を思い起こさせる。



マリア1209 「6年間で1万8千人以上が処刑されたらしいわ。」

マリフ1209 「ひどいね・・・」



 
ウィレム1世は軍を率いて反カトリックの行動をとるも敗北。
その後、海乞食(海賊軍団)を率いて、勢力を回復。
 
ウィレム1世、ホラント州、ゼーラント州の総督になる。
 
反プロテスタントのユトレヒト同盟(北部中心)を結成
 
1581年、北部は、フェリペ2世の統治権を否定。
この後も戦争は続く(八十年戦争)



教科書ではフェリペ2世の統治権を否定したことが
オランダの独立、という扱いになってるようです。
でも実際には独立宣言があったわけではないらしいですね。


マリナ1209 「そして1584年、このプリンセンホフでウィレム1世は暗殺されます。」

マリア1209 「犯人はカトリック信者のフランス人だったらしい。」

マリフ1209 「当時の弾痕が今も残ってるよ。」



DOLな旅ネデ26-6

現地では一定時間ごとに暗殺シーンがリアルな影映像で演出されます。
ちょっとびっくりするw




DOLな旅ネデ26-8

Death portrait of William of Orange 1584
Christiaen Jansz van Bjieselingen




ウィレム1世が暗殺された後は、次男マウリッツ⇒三男フレデリク・ヘンドリックが後を継ぎ、
フレデリクの亡くなった翌年1648年にウェストファリア条約
オランダの独立が国際的に承認されます。


マリフ1209 「ウェエストファリア条約ってドイツの三十年戦争の講和条約では?」

マリア1209 「当時はEU各国でカトリックVSプロテスタントの争いが起きていたのよ。」

マリナ1209 「他国は三十年戦争になんらかの形で関わっていたんです。」

マリフ1209 「八十年戦争の最後の30年は三十年戦争とかぶってるわけかー。」


ウィレム1世は生涯カトリック教徒だったとされていますが、
フランスがプロテスタントを皆殺しにしようとしているのを知り、
プロテスタントの為に動いた人物なのです。


マリア1209 「彼自身は宗教に対して寛容だったのね。」


一度は北部の総督をカトリック教徒のアンジュ―公に頼んでいることからも、
ただの宗教戦争ではなかったんだろうなぁと推測されます。

結局、アンジュ―公には断られ、
一番実権をもっていたホラント州の総督だったウィレム1世が事実上の初代総督ということに。



博物館にはオラニエ一族の家系図と肖像画がたくさんありました。

DOLな旅ネデ26-10


ウィレム1世の三男の息子がウィレム1世の兄ヤン(ナッサウ伯)の子孫と婚姻したことから、
オラニエ=ナッサウ家となり、現在ののオランダ王家に繋がっています。


本当はグロティウスにも触れたかったんだけど、
これ以上長くなっては次にいけないので、今回はやめておきましょう。

そんなわけで、
オランダ誕生に深く関わるオラニエ一族の歴史を学んだマリ姐だったのでした。



マリフ1209 「次回でデルフトは最後だよー」

2017.03.03 / Top↑
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