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見た目だけで癒される。
DOL旅ネデ篇28食

海鮮丼!

伊東へ温泉旅行した時に、熱海に途中下車しました。
熱海の駅ビルで食べたランチがこれ。

新鮮なお魚は美しいですねぇ・・・

最近胃が縮んでいたはずだったのですが、ぺろりと完食でした。

(○゚ε^○)v ィェィ♪


さて、ネデ篇の続き。
今回は2度目のデン・ハーグです。


前回訪問時はこちら。
オランダを代表する画家たち(DOLな旅 ネーデルラント篇4)
VOC設立に携わった人物(DOLな旅 ネーデルラント篇5)








デルフトから移動したマリ姐御一行。
続いてやってきたのは・・・


DOL旅ネデ篇28-1-1

DOL旅ネデ篇28-1-2

デン・ハーグ(CS)駅!

デン・ハーグは政治の中心地。
日本でいう霞が関にあたるのかな?



前回も紹介したところはさくさくと。

DOL旅ネデ篇28-2

駅を出てウィレム1世の像を通り過ぎ・・・



DOL旅ネデ篇28-3

右がマウリッツハイツ美術館

西インド会社ブラジル総督マウリッツの元お屋敷で、
現在はフェルメールの『真珠の首飾りの少女』が所蔵されている美術館。


左がビネンホフ

ネーデルラント連邦共和国成立後、連邦議会が設置された場所。
現在は国会議事堂・総理府・外務省が入っています。



DOL旅ネデ篇28-4

私は池を挟んだここからの眺めが大好き~( ● ´ ー ` ● )

いやー美しい建物ですね・・・。
左の白い建物がさっきのマウリッツハイツ美術館です。



そして。
美術館のすぐ近くにあるのが、今回初めて訪れた場所。

DOL旅ネデ篇28-5

ハーグ歴史博物館!(ちゃんとした写真なしw)

ハーグの歴史に関する資料が展示されている博物館。
日本人にとっては相当マニアックにあたりますが、
歴史好きは覗いておきたい場所です。



DOL旅ネデ篇28-6

大航海時代の展示は1階に集中していた気がします。



DOL旅ネデ篇28-7

The Plaats with the Graneze Zoodije, facing Lange Vijverberg
unknown artist, c.1550-156

ちょうどこの博物館のあたりから描いたビネンホフの様子ですね。
この眺めは今もあまり変わっていないです。



DOL旅ネデ篇28-8

Map of The Hague in 1570
Cornelis Elandts, 1663



DOL旅ネデ篇28-9

De Hofvijver gezien vanaf de Lange Vijverberg
Schiderij door Jan ten Compe, ca.1750

Lange Vijverbergという道路から見たビネンホフ。
今は車とトラムが走ってますが、昔は馬車が通っていたのかな。
私が行ったときは工事中であまり写真撮らなかった。



DOL旅ネデ篇28-10

The representatives of Dordrecht ride through the Stadtholder's Gate
at the Binnenhof on 17 March 1789

Bartholomeus Johannes van Hov, c.1848

ビネンホフの中、騎士の館での出来事を描いた絵画。
ちょうど同じ角度から写真を撮っていたので、比較してご覧ください。


DOL旅ネデ篇28-11

マリフ1209 「昔とほとんど同じだねぇ。」




DOL旅ネデ篇28-12

The Hofvijver seen from the Buitenhof
unknown artist, c.1630

【解説訳(略)】
ホフ池の向こうにはビネンホフの建物が見える。
最も高いのは、マウリッツが住居として建てた塔。
遠くには現在のハーグ歴史博物館である建物が見える。
手前には騎兵の行列が通り過ぎており、
マウリッツ王子とフレデリク・ヘンドリック王子もその中にいる。



マリナ1209 「ウィレム1世暗殺後、次男のマウリッツがホラント州の総督になりました。」

マリア1209 「オルデンバルネフェルトは法律顧問として、経済面でマウリッツを支えていたの。」

マリフ1209 「DOLではアムス宮殿にいるバルネフェルト議長のことだよ。」

マリナ1209 「でも度々マウリッツと意見が合わないことあったようです。」


そんな中、
八十年戦争が休戦し、カルヴァンの予定説で国内論争が起こります。


≪予定説とは≫
カルヴァンが提唱したキリスト教の神学思想。
神によって救われる者とそうでない者はあらかじめ決められていて、
現世の行いは関係ないという考え。

予定説の解釈に寛容なアルミニウス派と、厳格に解釈するホマルス派に分かれる。



マリア1209 「バルネフェルトはアルミニウス派、マウリッツはホマルス派だったのよね。」

マリナ1209 「この論争はさらに階級闘争、国家論にまで発展し、内戦の危機になります。」


最終的には1618年のドルト会議でホマルス派が勝利。
バルネフェルトは国家反逆罪で逮捕され、処刑されるのです。



DOL旅ネデ篇28-13

Johan van Oldenbarnevelt
Michiel van Mierevelt, c.1614-1618


【解説訳】
ヨハン・ヴァン・オルデンバルネフェルトはホラント州の弁護士としてハーグでキャリアをスタートし、
1586年、オランダの顧問弁護士に選ばれた。
彼は総督でありと軍の司令官であるマウリッツと、対スペイン戦争における夢のチームを結成した。

最終的に、オルデンバルネフェルトは、マウリッツとの国内論争に負けた。
2つのプロテスタント宗派間の宗教紛争は、共和国を内戦の危機に追いやった。
彼は反逆罪で逮捕。有罪判決を受け、1619年5月13日にビネンホフで斬首された。
彫像はLange Vijverbergから、処刑場の方向に視線を向けている。




DOL旅ネデ篇28-14

この像を見て興奮する日本人はDOLプレイヤーか歴史オタクですね。

宗教における解釈が国を揺るがすなんて、
日本人の私には理解しがたいものがあります。
(日本は政教分離ですし)

今も世界のどこかで宗教問題が原因で戦争が起きてますから、
昔からそこは変わらないですね。



というわけで、
デン・ハーグでバルネフェルト議長の歴史を振り返ったマリ姐だったのでした。


マリナ1209 「次回はVOCの支店のあったエンクハイゼンに行きます!」

2017.03.14 / Top↑
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